12月13日、京都文化博物館で「酔拳2」上映後、「るろうに剣心」アクション監督の谷垣健治さんによるミニトークが行われました。
聞き手は、東映の高橋剣さんです。

谷垣さん:この前に上映した「座頭市 血煙街道」と、「SPL/狼よ静かに死ね」は、限定された空間でのシンプルを極めたアクションで、この「酔拳 2」は、対照的に小道具ありスタントありギミックありと必要な要素をすべて詰め込んだアクションです。

いま発売中の雑誌「BRUTUS」で、歴代のアクション映画トップ3というテーマで、「るろうに剣心」で一緒にやったスタント・コーディネーターの大内貴仁と対談をしています。
すると本当に偶然なんですけど、僕と大内は意見が一致して、ナンバー1に「酔拳2」を推してたんですね。
ナンバー2も一致しました。「SPL」なんですよ。

ジャッキーは、「酔拳2」に本当にこれでもかというぐらい、いろんなものを盛り込んでいます。
自分の代表作で、15年ぶりに撮る続編、しかも一時は封印してたカンフーものというジャンルへの再取り組みということもあって、気合い入ってたんでしょうね。

撮影は大変だったようです。
ラウ・カーリョン監督がいろいろあって降板、そしてジャッキーが自分で監督することになったり。

僕は93年から香港に移ったんですけど、実は「酔拳2」にちょこっとエキストラで出てます。どこかは秘密です(笑)。

残念だったのは、今日見た日本版は、香港版よりもちょっと短いんです。香港版は衝撃的なラストシーンが収められてるので、機会があったらご覧いただきたいですね。
それと、シネスコじゃなくてビスタのサイズだから、両端が切れてます。ワイドアングルで撮られたダイナミックなアクションがちょっとつまり気味になってしまってますね。途中から全然気にならなくなりましたけど。

「るろうに剣心」の撮影に入る前に、4日間、大友監督とアクションチームだけでリハーサルっぽいことをやりました。
まだロケハンも始める前に何となく、お互いの手の内を明かすというかね。アクションチームが出来ること、出来ないこと、面白そうな動きとかそういうことを自由にセッションしていくという、今にして思えばとても大事な時間でした。
その時に、大友監督は色んな可能性を感じてくれたと思うんです。

大友監督がそこで言ってたことでよく覚えてるのが、「『酔拳2』のさ、あの技がどうこうとかを飛び越えて本当に感情だけで動き回る、って感じのレベルに表現として持ってけたらいいよね!」ということ。
これ、今日ご覧になったお客さんはどういう意味かおわかりですよね。
「酔拳2」を見てもらったら分かるとおり、特にラストなんかはジャッキーが本当に酔っぱらって自由に動いてるようにしか見えない。立ち回りとしての段取り感が全くない。
そしてここはドラマ、ここはアクションという垣根を飛び越えて、映画のシーンの全部がアクションとも言えるし、全部がドラマとも言えるんです。

こういう映画がなぜ日本でできにくいかというと、「脚本をどこまで尊重するか?」というのが問題です。
日本だと脚本って、ト書きは少なくセリフは正確に書いて、演出部が1ページ1分とかで時間を計算します。

「酔拳2」は脚本にすると、ペラペラだと思います。
これを日本の演出部に渡すと、「ここはアクションじゃないんで、こなくても大丈夫です」と言われ、結果アクションがスカスカになると思いま す。「酔拳2」なのに(笑)。



香港は脚本があるにはあるんですが 、そこまで尊重されない。尊重されるのは現場のひらめき。
アメリカもそういう部分がありますね。

日本には、映画はセリフで成立してるという考え方があって、どうしてもアクションが短くなってしまう。

「酔拳2」は、最後の製鉄所のシーンだけで、撮影に2ヶ月かかってます。
香港の映画は、最後のシーンは最後に撮るんです。
最初に結末を撮ってしまうと、途中の変更が効かないので。

この映画の前に、監督協会の募金のために作られた映画が「ツインドラゴン」で。
香港のほとんどの映画監督がいろんな役で出てるんです。
その後、スタントマン協会の募金のために「酔拳2」が作られました。

「酔拳2」の頃は、まだワイヤーを消すという技術がありませんでした。
だからあの手この手で見えないようにしてます。
照明の当て方を工夫したり、フィルターにワセリンを塗ってボカしたりとか、滑車に手ぬぐい巻いて隠すとか。

見る人が見れば、ジャッキーがどこを撮って、ラウ・カーリョン監督がどこを撮ったか分かると思います。
1番最初に撮影したシーンが、2階で二人がお茶飲んでて斧で襲われるシーンなんです。
この辺の集団戦のダイナミズム、力強さはラウ・カーリョン監督の持ち味といえます。

宝石泥棒のあたりは、途中でロケ地変わってます。
このあたりからジャッキーが撮ってます。ジャッキーはやっぱり小道具の使い方、キャラの生かし方が絶妙です。
最後の戦いは「ヤングマスター 師弟出馬」のラストを彷彿とさせます。

「るろ剣」を撮る時、青木崇高さんに参考に見せたんですよ。
戦ってるうちに熱くなり、感情のままに手近にあるものを壊していくっていうね、そういう衝動の一つの例として見てほしいなって思って。
本人には言わないんですが、「お皿割ってくれたら嬉しいな」と思い、近くに皿を積みました(笑)。

彼には「スパルタンX」も見てもらいましたね。
スタイリッシュにアクションをやるんじゃなくて、「これでもか!」っていう熱い感じを出したくて。
僕の中では左之助というキャラにジャッキー的な要素を望んでいたのかもしれません。

今日見た4本の映画は、全部、身体張ってやってる感じがします。
「キートンのセブンチャンス」も、さりげなく見えるけど、あの影でキートンがやってることを想像すると、凄いと思いますし、
「百地三太夫」で真田広之さんがあの肉体を作るのに、どれだけ労力をかけたのか考えると、感じ入ります。

アクション映画で一番よくないのは、役者さんが全くそのアクションの意味を消化できないまま、言われた通りにやってるだけっていう状況ですね。まあ、ほとんどのアクション映画がそうなんですけど(笑)。
全く身についてないのだから、達人に見えるわけがない。
撮る方も撮る方でアクションを間違えずにできたら、それでOKっていう。
OKラインのレベルが 低すぎます。

例えば通常のドラマの場合、セリフを覚えてくるのは当たり前じゃないですか。
そこから、どう言うか?というのが大事なわけで。

アクションも、覚えてその通りにやるのは当たり前で、そこからどう表現するかが大事です。

「るろうに剣心」を作る時、佐藤健さんはそれを当たり前のことと理解していました。
佐藤健が実行して、皆がそのレベルについて行くので、全体のクオリティがガンと上がりました。
普通なら流して演じるところを、彼らは流さなかったのです。



本来なら、監督とアクション監督、二人監督が居るっていうのは、おかしな事で。
ではどうして僕は「アクション監督」という肩書きが必要なのかと言うと、そうしないと最後まで関われないから。
肩書きがスタントコーディネーターや殺陣師だと、「どうして仕上げまでいるの? 編集まで来るの?」って言われたら何も言えない。
アクション監督であれば、「だってアクションの責任者だから。文句あっか?」って言えるわけです。

しかしいくらアクションだけ良くても、ストーリーがちぐはぐだったりしたら、全然駄目だと思っています。

ドニー・イェンは「かちこみ! ドラゴン・タイガー・ゲート」と「レジェンド・オブ・フィスト 怒りの鉄拳」が教訓になったそうです。
この2作は、アクションシーンだけ見ると、派手で凄く良い。でもドラマ部分が、それに追いついてない。

「イップ・マン 葉問」は、アクションシーンはそんなにハデなことをしているわけではない。でもドラマ部分が良いから、1本の映画としてはこちらの方が一般的に評価されるし、自然にアクションの見栄えも良くなるわけです。

山崎貴監督がよく言ってるのが「VFXが良いだけの映画はダメ」ということ。
アクションも同じです。

僕らがいくらアクションを頑張って作っても、いい役者・いい監督に出会わないと、良い作品は作れないですね。

高橋さん:WOWOWで、特集番組を作られてましたね。「アクションもできるクリエーターだ」という紹介をされていて。

谷垣さん:さあ、明日は大変なことになりますね。体力を奪う「るろ剣」一挙上映!

高橋さん:「いつ、飯を食うんだ?」とお叱りをいただいております。