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11月11日「豪傑児雷也」上映前と後、活動写真弁士・坂本頼光氏によるトークが行われました。
聞き手は、大矢敦子氏(京都文化博物館・学芸員)です。

<上映前>

坂本:日本で初めて映画が上映されたのは、明治29年(1896年)です。
エジソンが発明したキネトスコープというもので、箱型で上からのぞく仕組みだったので、一台につき一人しか見れませんでした。

間が持たないので、横でしゃべって解説する人がいました。それが活動弁士の始まりです。

スクリーンで見られる時代になっても、活動弁士は残りました。
大正時代の一時期には、一人ではなく、何人かで役を分担して掛け合いをしたそうです。
ですが、基本は一人。

活動写真弁士、活動弁士、活弁士、活弁、様々な呼び方がありますが、
山野一郎の本によると、浅草では「ベン」と呼んだそうですね。縮めすぎです。
東京では映画説明者、関西では映画解説者とも言ったそうです。

なぜ私が長い前振りをしているかと申しますと、上映する前に、お客さんが6~7人入ってこないかなと期待しているからです(笑)

今日の主役、尾上松之助は、今年で没後90年。日本の映画スター1号です。
「目玉の松ちゃん」という愛称で親しまれました。
現存する、数少ない松之助主演作品を上映します。

「豪傑児雷也」は牧野省三監督。
大正10年に制作されたと、推測されています。

中国の明時代に、我来也(がらいや)という盗賊が居まして、それが児雷也の元になっています。

1806年(文化3年)、日本で感和亭鬼武が、児雷也(じらいや)と名前を変え、読本(小説)にしました。
親の敵を討つために、ガマガエルの化身である仙人に、弟子入りするという物語です。
その後、河竹黙阿弥など、様々な作家が筆を入れました。

尾上松之助は、大正15年に亡くなるまで、1000本の映画に出演したと言われています。
児雷也も、4本存在することが確認されてます。

演技が、非常に歌舞伎的ですね。
松之助は、元々旅役者でしたが、牧野省三に見いだされて映画の世界に入りました。

20分少々しか、フィルムは残っていません。
今日は、16コマ回転で上映します。
普通は、1秒に24フレームなので、ゆっくり再生することで、更にこってりした演技が楽しめることと思います。

昔は映写機は手回しだったので、テンポの悪い場面で、弁士が「早く回せ」と技師に命じたりしていました。


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<上映後>

坂本:一昨年、ヒストリカ映画祭で上映した「キートンのセブンチャンス」でも弁士をやらせていただきました。
「児雷也」は久々です。姿を消すところで、タイミングが少しずれてしまいました。
弁士というのは、演じるだけでなく、説明も入れないといけないので、タイミングが難しい。
この頃、時代劇という名称は無く、旧劇と呼んでいました。

大矢:坂本さんは、中学生の頃から活動弁士を目指していたそうですね。

坂本:4歳の頃から水木しげるさんが好きで、最初は漫画家になりたかったのです。
ところが、中学2年で、先生に連れられて行った無声映画を見て、活動弁士の存在を知りました。

その時の活動弁士が、澤登翠さんという、松田春翠さんのお弟子さんでした。
(松田春翠さんは無声映画収集家。この映画を所蔵されてた方です)

チャップリンの「キッド」という作品でした。楽団付きです。
カルチャーショックを受け、レンタル店で古い映画を見ました。そこで活動弁士になりたいと決意しました。

しかし、親には「高校には行っておけ」と言われ、澤登さんは弟子は取らない主義でした。
当時、澤登さん以外で、コンスタントに活躍している弁士は居なかったのです。
そこで独学で弁士になることにしました。

関西にも、井上陽一さんがいらっしゃったんですが、私はその頃、存じ上げなくて。
その後、澤登さんは、山崎バニラちゃんを弟子に取りました。
今更「ズルい! 俺も弟子になりたい」と割り込む訳にもいかず(笑)
現在に至ります。

大矢:アメリカのイェール大学でも上映されたそうですね。英語で?

坂本:前説は、丸暗記の英語で乗り切りますが、後ですぐ忘れます(笑)
在米日本人向けなので、本編は日本語です。
フランス、韓国、スイスでも上映しました。

大矢:活動弁士の台本ってどうやって作るんですか?

坂本:自分で書きます。
児雷也は、有名な話ですから資料があります。それを元に作ります。
この頃の映画は、字幕が無いですから、弁士によってセリフが違います。
阪東妻三郎や大河内傳次郎の時代になって、字幕が登場していきます。

古いフィルムなので映像が暗くて、特徴的な髪型の児雷也はともかく、他のキャラクターは誰だか分からない人がいます。
児雷也がパッと消えるというシーンは、当時、子ども達に大ウケしました。

特殊効果については、伝説がありまして。
カメラを止めてる間に、俳優がトイレに行って、気づかず続けて撮影していたら、人が消える特殊効果が誕生してしまったということです。

大矢:「豪傑児雷也」は説明も多く、忍術の効果音もあるので、弁士さんは腕の見せどころがいっぱいですね

坂本:児雷也の魅力は、旧劇(時代劇)の持っている泥臭さですね。

10年前に児雷也を演じた時、今とは全然違う芝居をしてしまったんです。
いちいちツッコミを入れてしまった。
活動弁士というのは、映画を引き立てなければいけないのに、映画をダシにして笑いを取ろうとしてしまったのです。
先輩から「もっと作品を大事にしろ」と怒られました。

今では、どうしても不自然なシーンは、茶化さず、褒め殺しで押し通します。
「雄呂血」という坂東妻三郎さんの作品がありますが、シリアスな話なのに、お客さんが笑ってしまったことがあります。
主人公があまりにも要領が悪く、不幸が重なるので「またか」と笑われたんです。今のお客さんの反応は色々ありますね。

大矢:尾上松之助の出演作は1000本と言われていますが、大阪朝日新聞、京都日出新聞(現・京都新聞)を調べて約900本まで確認しました。
児雷也は6回ほど上映されていました。
新しい場面を付け加えて、タイトルを変えて再映するということもあるので、全て新しく撮影した作品なのかは、分からないですが。

最近、発見された「実録忠臣蔵」。
京都文化博物館でも一部は所蔵していますが、パテベビー版ですが、通しで見られる日が来るとは、思いませんでした。

坂本:松之助、最晩年の大正15年の作品です。この頃には、牧野省三とは袂を分かっています。
松之助は、ぐっと抑えた演技に変化しています。
「おもちゃ映画ミュージアム」で「実録忠臣蔵」を上映したことがありますが、大石内蔵助の役がハマっていました。

大矢:松之助は、最初はトンボを切るなどの、運動神経を買われていましたが、歳を取って、性格的な演技へ変化していきました。
忠臣蔵も、外伝を含め、沢山作ってますね。
脇役の俳優さんは、いつも同じメンバーで一座を組んでいました。悪役や美女などキャラクター別に俳優が決まっていました。

坂本:できれば、未知の作品も演じてみたいですね。
皆さんも、もし古いフィルムをお持ちでしたら、京都文化博物館までご一報を!

この後は「忍びの者」を上映します。
原作は赤旗に連載していたので、非常にプロレタリア。支配される、下人の忍者の話です。
織田信長の残酷さも凄い。

伊藤雄之助さんが、咳き込んでセリフを言うので、山本薩夫監督が「どうした?」と聞くと「史実を調べたら、百地三太夫は労咳を病んでた」って言うんです。
監督は「聞き取りづらいから、普通に喋れ!」と言うので、伊藤さんは普通にセリフを言ったそうです。
役の作り込みが凄いですよね。大好きな映画です。