2013.11.30
ヒストリカ・トーク『ジャッジ・アーチャー』ティーチイン@T・ジョイ京都
登壇者:シュ・ハオフォン監督 飯星景子さん ミルクマン斉藤さん

飯星氏と斉藤氏は華やかな衣装でしたが、監督は渋くグレーにまとめてらっします。引き算の美学でしょうか。
この日一番盛り上がったトークで、時間が足りないほどでした。
斉藤「シュ監督が、武術指導もされていますが、斬新なアクション設計でしたね。形意拳(先生のご実家の流派)が元なのでしょうか?」
監督「師匠からは、人前で見せてはいけないと言われました。血が流れることになるから、と」
しかし、少しだけなら良いということで、シュ監督が武術の型を実演してくださいました。

監督「なぜゆっくり動くかというと、グッと腰を入れるためです」
斉藤「ウォン・カーウェイ監督の『グランドマスター』でも武術指導をされてますが、形意拳以外も指導されましたか?」
監督「他には、八掛拳(チャン・ツィイーが使っていた武術)も指導しました。武術すべてを見ているわけではなくて、顧問です」
飯星「『グランドマスター』では、武術の変化が駆け足で描かれていましたが、
『ジャッジ・アーチャー』『ソード・アイデンティティ』では、その時、足りなかったものが伝わってきました」
監督「黒澤明監督を例にとりますと、武士が近代化に直面して、変革が迫られているということを描きたかったのです。
武術の達人が、古い道徳を持ちながら、人とどう対決するのか。鉄砲による死は、単なる個人の死ではなく、伝統の死でもあるのです」
飯星「監督が描くのは、1912年から1953年のみ。なぜ、武術家は短い期間しか活躍しなかったのでしょう?」
監督「一つ目は、清朝では民間で武術が禁止されたこと。二つ目は中華人民共和国が建国されて、
それまで武術家が解決してきたいざこざを、党(中国共産党)が解決するよう になったことです」
飯星「今でも武術はありますが、スポーツっぽいですね」
飯星「監督の小説は日本語訳になっていないので、原作の小説は読んでいないのですが、
原作でも、映画と同じように繰り返しのシーンはありますか?」
監督「映画と小説はまるで違います。小説は思想と愛情を重視しています」
斉藤「『ジャッジ・アーチャー』は映画らしい映画。小説の映画化とは思えないです」
監督「私が北京電影学院で学んだのは、ハリウッド的ではなく、詩的な表現。行間や隙間を読ませるものです」
斉藤「シュ監督が影響を受けた人物として、ロベール・ブレッソン監督と溝口健二監督の名前を挙げてらっしゃいますが、
シュ監督からは、非常に『引き算の美学』を感じます。それが武侠映画とドッキングして、世にも奇妙な味わいになっている」
監督「溝口監督は、大学の頃から注目していました。一番好きなのは『西鶴一代女』です。ロングショットを詩的だと思いました」
監督「『座頭市』が好きで、論文(徐浩峰「《座頭市》的中国心」、『北京電影学院学報』2005年4期。)も書きました。
今まで、日本では26作品作られていますが、新しい『座頭市』を作りたいほどです」
斉藤「ぜひ作ってください! 香取慎吾で終わらせないで!」
監督「あなたが、スポンサーを呼んできてくれるなら(笑)」
斉藤「『ジャッジ・アーチャー』は人がストップした時のフォルムが変。人体では有り得ない動きをしている。
何にも似ていない。唯一似てるとしたら、鈴木清順監督です」
監督「私も観ています。比較されて光栄です」
監督「私が描くのは、馬上での、すれ違う時の一瞬の戦いです。
台湾の映画賞・金馬奨で私がノミネートされないのは、香港映画は常に戦うが、私は一瞬しか戦わないからでしょうね」
<役者について>
監督「ユー・チェンホイさんは74歳です。あの役は最初、数人の候補がいたのですが、まずチェンホイさんに脚本を見てもらったところ、
まだお願いすると決定していなかったにもかかわらず、台詞を全部覚えてしまったのです。それで感動して、彼に決めました」
監督「主演のソン・ヤンさんは、武術の経験はなかったのですが、踊りの基礎がありました。そこで、タイ山に修行にいかせました」
ボランティアスタッフ 中育穂